事業者が従業員のメンタルヘルスを怠った場合の賠償リスク

メンタルヘルス 弁護士

1 事業者が従業員に負担する安全配慮義務

(1)安全配慮義務とは

事業者は、労働契約法第5条に基づき、従業員が安全かつ健康に働ける環境を提供する「安全配慮義務」を負っています。

この義務は、身体的な安全だけでなく、精神的な健康も含まれます。

具体的には、長時間労働の抑制、ハラスメント防止、ストレスチェックの実施(従業員50人以上の事業場では義務)などが求められます。

(2)安全配慮義務違反のリスク

安全配慮義務を怠ると、以下のような法的リスクが発生します。

損害賠償請求

従業員が精神的な健康被害を受けた場合、企業は民法415条(債務不履行)や民法709条(不法行為)に基づき、損害賠償責任を問われる可能性があります。

賠償額には、治療費、休業損害、慰謝料、逸失利益などが含まれます。

とりわけ、若年従業員が健康被害を受けた場合は、賠償額が高額になりがちです。

労災認定と企業責任

精神障害や自殺が業務に起因すると認定されれば、労災保険の給付が行われるだけでなく、企業が安全配慮義務違反として損害賠償を請求されることがあります。

(3)企業イメージの低下

安全配慮義務違反が公になると、企業の社会的信用が大きく損なわれるリスクもあります。

2 裁判例に現れた具体例

判例から見る安全配慮義務違反の具体例

安全配慮義務違反が認定された判例は、労働者の生命や健康を守るための企業の責任を明確に示しています。

以下では、代表的な事例をいくつか取り上げ、その背景や裁判所の判断を詳しく解説します。

(1)電通事件(最高裁判所 平成12年3月24日判決)

この事件は、長時間労働が原因で新入社員がうつ病を発症し、自殺に至った事例です。

裁判所は、企業が従業員の健康状態を把握し、適切な労務管理を行う義務を怠ったとして、安全配慮義務違反を認定しました。

具体的には、以下の点が問題視されました。

長時間労働の放置

被害者は月100時間を超える残業を行っており、これが精神的負荷を増大させたと認定されました。

健康状態の未把握

被害者の異変に気づきながらも、適切な対応を取らなかったことが企業の過失とされました。

裁判所は、企業の過失と被害者の自殺との因果関係を認め、賠償額の減額を認めた高等裁判所の判決を破棄し、裁判を差し戻させました。

最終的には、差し戻された裁判にて、会社が1億円を超える和解金を支払う、という和解が成立しました。

この判例は、過重労働が従業員の健康に与える影響を企業が予見し、回避する義務を強調しています。

(2)パワハラ事例(長崎地方裁判所 平成30年12月7日判決)

この事例では、職場でのパワーハラスメントが原因で従業員が精神疾患を発症し、長期間休職を余儀なくされました。

裁判所は、以下の点を重視して安全配慮義務違反を認定しました。

上司の不適切な言動

上司が部下に対して感情的かつ攻撃的な叱責を繰り返し、心理的負荷を与えたことが認定されました。

企業の対応不足

ハラスメントの訴えがあったにもかかわらず、企業が適切な調査や改善措置を講じなかったことが問題視されました。

裁判所は企業に損害賠償と未払賃金等の支払いを命じました。

この判例は、ハラスメント防止のための企業の積極的な対応が求められることを示しています。

(3)教員自殺事例(鹿児島地方裁判所 平成26年3月12日判決)

精神疾患による休職明けの教員が、過重な業務を課された結果、精神状態が悪化し自殺に至った事例です。

裁判所は、以下の点を指摘しました。  

業務内容の不適切な割り当て

精神疾患の状態が良好でないことを認識し得たにもかかわらず、教員免許外の科目を担当させる等心理的負荷を増大させる業務を命じたこと。

心理的負荷の予見可能性

被害者の精神状態を把握し、業務内容を調整する義務を怠ったことが学校側の過失とされました。

裁判所は、企業に損害賠償を命じました。

この判例は従業員の健康状態に応じた業務配分の重要性を示しています。

(4)東芝事件(東京高等裁判所 平成23年2月23日判決)

この事件では、従業員が毎月平均70時間以上の残業を行い、精神疾患を発症した事例です。

裁判所は、以下の点を重視しました。

過重労働の継続

長時間労働が常態化しており、従業員の健康に重大な影響を与えたと認定されました。

企業の管理責任

労働時間の適切な管理を怠り、従業員の健康被害を予見し得たにもかかわらず、必要な措置を講じなかったことが問題視されました。

この判例では、企業に多額の損害賠償が命じられ、労働時間管理の重要性が改めて強調されました。

(5)まとめ

これらの判例は、企業が従業員の健康を守るために果たすべき安全配慮義務の範囲を具体的に示しています。

長時間労働やハラスメント、過重な業務負担などが従業員の健康に与える影響を予見し、適切な対応を取ることが求められます。

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企業がこれを怠ると、高額な損害賠償や社会的信用の失墜といった深刻な結果を招く可能性があるため、日常的な労務管理の徹底が不可欠です。

3 企業が取るべき対策:安全配慮義務を果たすための具体的な取り組み

企業が従業員の安全と健康を守るためには、安全配慮義務を果たすことが不可欠です。

この義務を怠ると、損害賠償請求や企業イメージの低下といった重大なリスクを招く可能性があります。

以下では、企業が講じるべき具体的な対策を4つの観点から解説します。

(1)メンタルヘルス対策の強化

従業員の心の健康を守るための取り組みは、企業の安全配慮義務の重要な柱です。

特に、ストレスチェックや相談窓口の設置など、従業員が抱える問題を早期に発見し、対応する仕組みを整えることが求められます。

(2)ストレスチェックの実施

労働安全衛生法に基づき、従業員50人以上の事業場ではストレスチェックが義務化されています。

これにより、従業員のストレス状態を把握し、高ストレス者への面接指導や職場環境の改善を行うことが可能です。

(3)相談窓口の設置

従業員が気軽に相談できる窓口を設けることで、問題が深刻化する前に対応できます。

社内カウンセラーや外部EAP(従業員支援プログラム)の活用も効果的です。

(4)メンタルヘルス研修の実施

管理職や従業員向けに、ストレスやメンタルヘルスに関する研修を行い、異変に気づく力や適切な対応方法を学ぶ機会を提供します。

4 労働時間の適切な管理

長時間労働は、従業員の心身に大きな負担を与えるため、労働時間の管理は安全配慮義務を果たす上で重要なポイントです。

(1)勤怠管理システムの導入

勤務時間を正確に把握するために、勤怠管理ソフトを活用し、従業員の労働時間をリアルタイムでモニタリングします。

(2)残業の許可制

残業を上司の許可制にすることで、不要な長時間労働を防ぎます。

また、残業時間が一定の基準を超えた場合には、産業医の面談を義務付けるなどの措置を講じます。

(3)業務効率化の推進

業務プロセスを見直し、効率化を図ることで、従業員の負担を軽減します。

タスクの優先順位を明確にし、無駄な業務を削減することが重要です。

5 職場環境の整備

従業員が快適に働ける環境を整えることは、心身の健康を守るための基本的な取り組みです。

(1)物理的環境の改善

職場の温度や湿度、照明などを適切に管理し、快適な作業環境を提供します。

特に、28℃以上の環境での労働は健康リスクが高まるため、空調設備の整備が必要です。

(2)ハラスメント防止対策

パワハラやセクハラを防ぐための社内規定を整備し、従業員への啓発活動を行います。

また、ハラスメントが発生した場合には迅速に対応するための体制を構築します。

(3)休憩スペースの充実

従業員がリフレッシュできる休憩室や食堂を整備し、心身の疲労を軽減する環境を提供します。

6 安全衛生管理体制の構築

安全衛生管理体制を整えることで、従業員が安心して働ける職場を実現します。

(1)安全衛生委員会の設置

従業員50人以上の事業場では、安全衛生委員会の設置が義務付けられています。

この委員会を通じて、職場の安全衛生に関する課題を定期的に議論し、改善策を講じます。

(2)産業医や保健師の配置

従業員の健康状態を把握し、必要に応じて専門的なアドバイスを提供できる体制を整えます。

(3)健康診断の実施

定期的な健康診断を実施し、従業員の健康状態を把握します。

特に、メンタルヘルスに関するチェック項目を充実させることが重要です。

7 まとめ

企業が安全配慮義務を果たすためには、メンタルヘルス対策、労働時間管理、職場環境の整備、安全衛生管理体制の構築といった多角的な取り組みが必要です。

これらの対策を講じることで、従業員が安心して働ける環境を提供し、企業としての信頼性や生産性の向上にもつながります。

もっとも、事業者がこれらの体制を整えるにあたり、日常業務を遂行しながらその内容を迅速に検討することは困難だといえるでしょう。

また、どの程度の体制が必要かを判断するには裁判所が示した「事業者側の体制不備」の内容を把握しておく必要があるところ、事業者が業務の合間を縫って裁判例を検索するのは非現実的です。

リブラ法律事務所では、事業者が構築すべき安全配慮体制を裁判例に照らしつつお伝えし、就業規則等各種規則の改訂、労働時間の具体的管理方法を助言・指導することができます。

ヒヤリ・ハット事例が発生する前に、お気軽にご相談ください。

Last Updated on 3月 4, 2025 by kigyo-lybralaw

この記事の執筆者
弁護士法人リブラ総合法律事務所

事務所に所属する弁護士は、地元大分県で豊富な経験で様々な案件に取り組んでいたプロフェッショナルです。ノウハウを最大限に活かし、地域の企業から、起業・会社設立段階でのスタートアップ企業、中堅企業まであらゆる方に対して、総合的なコンサルティングサービスを提供致します。弁護士は敷居が高い、と思われがちですが、決してそのようなことはありません。私たちは常に「人間同士のつながり」を大切に、仕事をさせて頂きます。個人の方もお気軽にご相談下さい。

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